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戦前、和菓子職人だった初代 相澤捷蔵が、寿司屋の将来性を抱き、

神奈川県登戸の川魚料理店「橘」で修行を開始したのがそもそもの始まりです。


その後、暖簾分けで昭和3年に東京下北沢に橘寿司を開業。
しかし、戦争により一旦廃業の憂き目に遭います。
終戦後、故郷宮城に戻った捷蔵と妻つねは、昭和21年に現在の地、一番町に店を構えました。


時代は戦後の復興から高度経済成長期へ・・・
橘寿司は多くのお客様に愛され、一番町を代表する寿司屋となって行きました。

二代目光哉・京子へと代替わりした昭和55年、店舗はそれまでの木造2階建てから、5階建てのビルへと大きく拡張しました。

寿司をメインに、しゃぶしゃぶ・うなぎ・ 会席料理ほかを提供する 大店の寿司割烹店として、たちばなはより多くのお客様に愛される店となりました。

          一階 カウンター       二階 小上がり           三階 割烹          四階 大広間

 

21世紀の幕開けと共に、たちばなは伝統の味そのままに、DININGスタイルへと大きな転換を図りました。

“寿司屋=演歌調”の既存スタイルを払拭した店内、BGMに流れるJAZZの調べ、間接照明のほのかな灯りの下で味わう寿司と旬彩料理の数々・・・

三代目を受け継いだ直哉の、「伝統を守り、新しく生まれ変わる」のコンセプトのもと、 橘寿司は新世紀を歩み始め、現在に至っております。

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橘寿司 三代目 相澤 直哉 

 

1968年3月、橘寿司の跡取り息子として生まれる。

向山小学校~東北学院中・高・大と進み、 23~28歳まで仙台KENTO'Sハウスバンド「キャデラック」

でメインボーカルを務める。引退後、岩切の寿司忠で2年間の修行生活を送り、'97年 ㈱橘寿司に入社。

2001年、理想とする新たなスタイルの寿司店を目指しSUSHI-DINING TACHIBANAをプロデュース。
現在、㈱橘寿司専務取締役 / 宮城県寿司商生活衛生同業組合専務理事。 

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